近世城下町の雛型-長浜

現代の都市の原型になった城下町

今日、多くの都市は城下町をそのルーツとしているものが多い。御所があった京都を除けば、東京・大阪・名古屋・・・各地の県庁所在地はほとんど城下町と言っていいかもしれない。近世以前においては、兵農が分離されていないこともあり、また山城が多いことも合って、城主一族の住まいと定期的に立つ市が混在して、都市として明確に整備されているところは非常に少ない。

安土桃山時代から江戸時代へ発達した城下町

織田信長の兵農分離と楽市楽座政策に見られるように、戦国末期から城を中心に町割を行なってまちづくりをすすめる形態が増えてきた。長浜は秀吉によって開かれた町であるが、もともとは今浜という寒村に過ぎなかった。それまでは浅井氏がこの湖北地域を治めており、山城である小谷城、一族の住処である清水谷を中心に大谷市場、郡上、伊部などの村落が形成されていた。姉川の戦いの後、浅井氏が滅亡すると、秀吉は湖畔に長浜城を築き、新しく町割を行なって長浜の町を作った。そして尾張衆・近江衆という家臣団が形成された。

秀吉の天下統一とともに、秀吉の家臣は全国に領地をもらい、そこに城を築いて町を形成していった。まさに長浜で行なわれた城下町づくりが全国各地へ拡散していったといえる。

開町当時の町割を、今なお残す長浜の町

このように、戦国後期に新しい都市計画の元で作られた長浜の町割は、江戸期から現代へとほぼ変わることなく残されている。これは、曳山祭の山組としても現存しており、ハード的ソフト的にも、近世城下町の雛型として残された希有な例なのである。

以下は秀吉の町・長浜の歴史を説明している

長浜が現存最古の近世城下町という視点、どのようにして秀吉は長浜の町を作って行ったのか、その過程を市民協働部学芸専門監(元長浜城歴史博物館館長) 太田浩司氏が解説をします。
長浜が現存最古の近世城下町という視点、どのようにして秀吉は長浜の町を作って行ったのか、江戸期における町民自治が行なわれた仕組みを市民協働部学芸専門監(元長浜城歴史博物館館長) 太田浩司氏が解説をします。
長浜が現存最古の近世城下町という視点、どのようにして秀吉は長浜の町を作って行ったのかから始まって、江戸期における町衆自治から、黒壁に代表される今日の長浜の中心市街地のまちづくりへ繋がってきたことを解説します。

秀吉公が長浜に与えた特権「朱印地」

長浜駅の周辺を歩くと、従是○○長濱領と書いた石柱がいたるところにあります。街を歩いた事がある人なら見覚えがあるのではないでしょうか。気になりませんか?
今回は江戸時代から残る「従是○○長濱領」と書かれた石柱を探してきました。えっ!そんなところにあるの!?とビックリするかもしれません。

使用画像について
サイトに使用している画像は長浜市及び関連団体提供によるものです。

シェアする

フォローする